個人的に気になる記事でした。(セキュリティとは関係ありません)
www.huffingtonpost.jp
「書く気持ちにはなれません」
書かれているのは、この店で「白虎隊御朱印」を書き、販売してきた白虎隊墓守家の5代目、飯盛尚子さんのメッセージ。
飯盛さんによると、このメッセージが掲示されたのは「去年か一昨年くらい」。
以前は、墓守でもあり書家でもある飯盛さんが、客の持参した御朱印帳に直接記入するサービスを提供していた。しかし順番待ちの人から「一人に何分かけているんだ」とか「手際が悪い」などのクレームが寄せられるようになったという。
飯盛さんはハフポスト日本版の取材に対し「適当に書けば数分で済みますが、そんなつもりはありません。接客もしながら誠心誠意書きますので、どうしても5分以上はかかります」と答えた。
そして御朱印帳に記入するサービスをやめた理由については「人を待たせるのも気分が良くありませんし、文句を言われながら書くものでもありません」としている。
(Huffpost記事より引用)
◆キタきつねの所感
元号変更「令和」を5月1日に控え、やはり万葉集の頃の心のゆとりが必要なのかなと感じます。
安倍晋三首相は官邸内で記者会見し、「心を寄せあう中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と、新元号への想いを説明した。
(Reuters記事より引用)
クレームをつけた観光客がどんな想いで、暴言を吐いたのかは分かりませんが、御朱印帳の御朱印は、経済合理性を求めて貰うものではなく、多少時間がかかっても、字に想いが籠ったものを「ありがたくいただく」ものではないかなと思います。
そもそも御朱印とはどんなものなのか、改めて調べてみると、
halmek.co.jp
御朱印の由来は諸説ありますが、ここでは「六十六部の納経帳」説を紹介します。「六十六部」とは、室町時代から見られる巡礼者で、彼らは法華経を66部書き写し、1部ずつを66カ所の定められた霊場に納めて歩いていました。その際各霊場からもらっていた「納経しましたよ」という証明の印と、証明の印を書いてもらっていた納経帳が、それぞれ御朱印と御朱印帳の始まりだそうです。
法華経を66回書き写すことは非常に労力がかかります。時代とともに納経は義務ではなくなっていきました。神社仏閣を参拝した証として、集印帳に御朱印をいただくという形へと変化し、「御朱印」「御朱印帳」と呼ばれる形式が整ってきたのは、昭和の初め頃なのだとか。
(ハルメクTravel記事より引用)
(諸説ありますが)巡礼の際に収めるべき法華経の写しを、書の上手な方に代筆頂いたものと考える事ができます。御朱印を書いて頂く事にスピードや更なる字の上手さを求めるのであれば、自分で書け(写経すれ)ば良いのです。
心無い観光客の暴言で、良き文化が廃れてしまう、そんな残念な結果になるのは、「スタンプラリー」と「御朱印」が同じであると勘違いしている観光客が多いからではないでしょうか?
尚、Twitterをよく見ると、白虎隊の御朱印は現在3カ所で対応しているそうで、今回「直筆での御朱印」の常時対応を辞めたのはそのうちの1人(下記2番)との事でした。
更新履歴